1928日後…

すべては1匹のねずみの感染から始まった……!!

レイジングスピリッツについての考察

プーさんの記事が内容不足で中々更新できず申し訳ないです。

今回はレイジングスピリッツの遺跡、文明の元ネタについて考察していこうと思います。レイジングスピリッツのBGSについてはあまり触れません。ご了承ください。

 

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さてこちらはレイジングスピリッツの石積みです。

 

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そしてこちらはクリスタルスカルの魔宮周辺で見られる石積みです。

レイジングの方は多角形を切り出した石を使用している一方で、魔宮は四角に切り出されたものしか使用されていないことがわかります。

 

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(画像引用元 https://tabippo.net/chichenitza/

ここでクリスタルスカルの魔宮の元ネタとされるマヤ文明の遺跡、チチェン・イッツァを石積みに注目して見てみましょう。

クリスタルスカルの魔宮と同じく四角に切り出された石が使用されていることがわかります。

 

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(画像引用元 https://worldheritagesite.xyz/contents/selection-mysterious-kiyomizu/

そしてこちらはインカ帝国の遺跡マチュ・ピチュの有名な石積みです。レイジングと同じく多角形に切り出された石が使用されています。

 

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また、レイジングスピリッツの石積みには時折このような小さなでっぱりが見られますがこちらもまたマチュ・ピチュにも同様のものが存在します。

 

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(画像引用元 https://世界遺産ハンター.com/peru/ollantaytambo/)

尚このでっぱりについて正確な使用用途は未だ判明していないものの、石の切り出しの跡または運搬用の突起という見方が有力とのことです。

クリスタルスカルの魔宮が基本的にマヤ文明を元にしていることは有名ですが、これらの表現から私はレイジングスピリッツは古代アンデス文明が元になっていると考えています。

 

他にもレイジングスピリッツとアンデス文明の共通点は多数見られ、今回の記事では基本的に元ネタとの共通点を紹介しつつちょっとだけアトラクション自体の設定についても考察していきます。

 

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これは火の神イクチュラコアトルです。講談社のガイドブック等で顔の下にぶらさがっているものがイクチュラコアトルと紹介されることがありましたが、それは誤りであり近年のガイドブックでは修正されているようです。

このイクチュラコアトルのデザインはディズニー映画『ラマになった王様』からインスピレーションを受けたものというのは有名ですが、更に元を辿るとこれらのデザインは明らかにシカン文化から影響を受けています。

 

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(画像引用元 https://www.art-index.net/art_exhibitions/2009/07/post_502.html

これはシカン文化で使用されていたトゥミです。Naylamp(ナイランプ?)というペルーの伝説的な人物がデザインされたものなのですがイクチュラコアトル、ひいてはラマになった王様に登場するクスコ城のデザインに非常に類似しています。シカン文化は「黄金の都」と称されることがあるのですが、まさしくクスコ城は黄金で飾られていますね。勿論レイジングには黄金の要素があります。

 

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先ほども紹介したこのイクチュラコアトルにぶらさがる球状のなにかですが、よくみると頭の部分が黄金で塗られています。

シカンに限らず、アンデス文明は金や銀の鋳造していたことで広くしられており逆にマヤでは使われていません。クリスタルスカルの魔宮にも金や銀は見られず、しっかりと別文明として描写されていることがわかります。

またアンデス文明に於いて金は「太陽の汗」と見做され、更に当時太陽は王の子孫とされていたことから非常に高尚な存在だったそうです。

 

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(画像引用元 https://sunoflemuria.buyshop.jp/items/49087256

またこのイクチュラコアトルの頭部を飾る水色の石たちですが、私はこれらを塗装されたものではなく元々この色をした石なのではないかと考えています。先ほど紹介したトゥミをはじめ、シカン文化ではトルコ石、クリソコラといった青い石が装飾品によく使用されているのです。

 

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(画像引用元 https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:Lombards_Museum_039.JPG

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(画像引用元 https://www.reddit.com/r/ArtefactPorn/comments/tdwmft/the_7ft_high_raimondi_stele_made_of_highly/

レイジングスピリッツには同じくアンデス文明のチャビン文化の意匠もこのようにいくつかみられます。チャビン文化とシカン文化は1000年ほど間がありますが両者「プレインカ」という括りでは共通しています。(プレインカとはアンデス地域に築かれた文明のうちインカ帝国以前の古代文明たちのこと)

 

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(画像引用元 https://worldheritagesite.xyz/media/21198/

ですがインカ帝国の要素がないわけではありません。これはレイジングスピリッツ入り口前にひっそりと置かれた謎の石なのですが、インカ帝国のかの有名な巨大遺跡マチュピチュに存在する「インティワタナ」と酷似しています。この石についてネット上では日時計であるという説が広く流布していますが、実際のインティワタナについては使用用途が未だ不明なところがあり、レイジングに置かれたこちらも日時計と断定するには多少早計かと私は考えます。

 

さて公式インスタグラムにこのような投稿があります。

 

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私も以前はこの投稿とおなじく「クリスタルスカルの魔宮よりレイジングの遺跡の方が多く年代が古い」と考えていましたが、クリスタルスカルの魔宮のモデルとなったチチェン・イツァとレイジングにもその要素が見られるアンデス文明シカン文化というこの二つは、実はほとんど年代を同じくしておりインカ帝国に関してはチチェン・イツァより後期のものとなっています。公式の投稿に盾突くのはファン心理的に憚られるものもありますが、私は現在クリスタルスカルの魔宮がレイジングの遺跡より状態が良いことに関して原因は年代の違いではないと思っています。

というのもみなさんご存知の通りインカ帝国ピサロによって侵略侵攻されてしまいましたが、マヤ文明に関しては白人達が上陸する頃には既に著しく衰退しており侵略という侵略はなかったというのが現在の通説です。

なのでインカ帝国アンデス文明)がモデルとなっているレイジングスピリッツの遺跡の状態が悪いのは過去既に白人によって侵略されているからではないでしょうか?クリスタルスカルの魔宮は1880年代に嵐で森林が切り開かれたことによって発見されたというストーリーがあります。ということは魔宮についてはこれまで外部のものが発見することはなかった、つまりあの魔宮は大航海時代時点で既に放棄された廃墟の神殿となっていて人の管理下にはなくすっかり森林で覆われており白人による侵略も免れていたのではないでしょうか?

 

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この理由であれば時代設定の矛盾なく両遺跡の保存状態の差についても説明がつくと思うのですがいかがでしょう?ぜひみなさんのご意見もお聞かせください!

 

参考文献

『失われた文明 インカマヤステカ展図録(2007年開催)』

 

 

 

 

プーさんコーナーを通って、夢から醒めよう③おまけ編

 

今回はプーさんコーナーシリーズのおまけ的な内容です。

前回飛ばしてしまった「グラデーションを演出しているプロップスたち」を紹介していこうと思います。本記事は前回前々回の補足的な内容なので内容は薄いです。ご了承ください。また、前回前々回の記事を未読の方は一度ご覧になって頂いてから本記事を読んでいただくことをおすすめします。

今回外観に関する話もしようと考えていたのですが、うまくまとまりきらなかったのでそれはまた次回記事にさせていただきます。今回は本当に個人的メモレベルの記事です。まぁあくまでおまけ編ということで……。

 

プーさんコーナーでは夢から現実までの過程をさまざまなプロップスを利用して演出しています。

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これはプーさんコーナーの天井に飾られている照明をまとめた写真です。上部はアトラクション出口側の照明、下部はプーさんコーナー出口側(ファンタジーランド側)の照明です。出口側に近づくにつれ、プーさん要素がだんだんなくなっていくことがわかります。また前回プーさんコーナーファンタジーランド側はミルン宅なのではないかという考察をしましたが上段右のプーさんのシルエットで装飾された照明がちょうど堺にあたります。この“プーさんのシルエット”という要素はグラデーションの中間によく現れます。そしてそのシェードにシルエットが装飾された照明を過ぎると、今度は似たような形のシェードがついた照明が現れます。この二つの照明が少し似ている形をしているのは、おそらく意図的ではないかと考えています。

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続いてこちらは商品棚上部のプロップスをまとめたものです。同じく上から下に向かって出口側に近づいています。実は前回紹介したイラストの草のプロップス(画像左上)から少し進むと絵を描く道具(画像右中央)が置いてあるのですが、これはプーさんの物語に対する観客の視点が物語の一員としての一人称視点から俯瞰的、メタ的な三人称視点に動いたというわかりやすい表現だと思います。

またミルン宅の境の直前の商品棚にはキャンプ用品が置いてあるのですが(画像左下)これも100エーカーの森を子供達のように物語の舞台として楽しむのではなく「のどかで自然豊かな場所」として現実的に利用する大人からの視点がみて取れます。またこの場所がミルンの別荘をある程度正確に表しているとした場合ガレージの可能性があります。(これについては後程追記します)

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最後に紹介するのは地面です。アトラクションから出てすぐの時点では所々に石畳が見られますが(画像左下と右上)これは屋内だが屋内ではないという(=現実世界に帰ってきたが、まだ帰りきれていない)演出なのかもしれません。そしてお店の中心あたりに来るとまた石畳が現れ(画像右下)、これを境にミルン宅に突入します。ここが夢と現実の境になっているようです。

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因みになんですがこちらプーさんコーナーの外観、

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茅葺屋根のような不思議な形の瓦屋根なのですが、よく見ると瓦が本のようになっています。

ここら辺をもう少し掘り下げた記事を次回はかけたら良いですね。いつになることやら……。

プーさんコーナーを通って、夢から醒めよう ②

前回の記事で次回はグラデーションを演出しているプロップスについて詳細に紹介すると予告しましたが予定変更して、今回の記事では「グラデーションの終着点」について紹介します。

 

さてタイトルになっている“現実”とは具体的にどこのことを指しているのでしょうか?もちろん最終地点は東京ディズニーランドファンタジーランドですが、その直前にとても小さな空間ですがもう一つ“現実”があります。

それはここです。

ファンタジーランド側の出入り口と直結している二つの空間のうちハニーハント側のここはロビンの母、ダフネの部屋です。勿論それはガイドブックなどで公式で紹介されているものではありませんが前々回の記事でも述べたようにダフネは大変な園芸好きでした。

 

「自分の庭にいる母。移植ごてを手にダーウィン・チューリップの球根を植えている母。(中略)しかし、私が覚えているのは、たそがれどき、静かに、喜ばしげにこれらのものを眺めて、黙想している母である。」*1

 

出口付近にあるこの絵はバシリウス・ベスラーの『アイヒシュテット庭園植物誌』という有名な植物誌からの1ページです。

 

この一帯にはドライフラワーや美しい花柄の絵皿、植物の絵なども飾られておりそこにダフネの存在を感じます。

 

 

更にこのダフネの部屋と思しき一角は棚の形に特徴があるのです。上の画像がここ以外の棚で、下の画像がダフネの部屋の棚です。下の画像では、棚の形に特徴があるのがおわかりただけると思います。実はこの凝った形の棚も、たまたまそうであるわけではなく間違いなくダフネのセンスなのです。コッチフォードファームの別荘においてダフネの寝室は特別広く美しく、また彼女の家具のセンスの良さは家政婦やミルンも一目置いており誰も彼女の趣味に文句を言えないほどだったそうです。

「もちろん、決めたのは母であり、受諾したのは、父である。そして、またしても、一ばんしめった、一ばん暗い、一ばん寒い、一ばんみすぼらしい部屋が彼に割りあてられたという発見をしたのも父である。」*2

母のこれらの様子にロビンは「情ある独裁者」と表現しています。プーさんコーナーの中でここにしかない特殊な形の棚は“独裁者”の指示によるものなのでしょう。尚上記の引用文で述べられているのはコッチフォードファームの別荘ではなく、ロンドンのマロードストリートにあるまた別のミルン宅なのですがコッチフォードファームでも同様に彼は小さくて暗い部屋を割り当てられたようでした。

そしてこれらの装飾や棚の特徴は前述したプーさんのインテリアのように徐々に増えていくというわけではなく、突然始まるのでここが“部屋”として区切られた現実の家であることがわかります。

 

隣接するこの暖炉もダフネの部屋のものなのなのでしょうか?違います。この暖炉のある一角は応接間です。

 

(画像引用:https://thestrip.ru/en/for-blue-eyes/alan-miln-byl-redaktorom-v-lapah-u-vinni-puha-i-sobstvennoi-zheny-dve-bedy/)

これは実際のコッチフォードファームの別荘でのミルンの写真です。ミルンはこの応接間の暖炉の前でくつろぐのが好きだったそうです。

 

先ほどの写真では暖炉の上にたくさん動物の人形が置かれていましたがプーさんコーナーの暖炉にも馬やカモの置物がいくつか置かれています。

 

さて、ダフネの部屋、応接間ときたら外から向かって見て一番左手(スモールワールド側)にあるここはミルンの部屋に違いないですね。……と、言いたいところなのですがそうと決めるには一点だけ、とても大きな懸念点があるのです。

 

それはここ一帯に飾られている絵画なのですが、これらは全て馬と猟犬を連れた狩猟が描かれています。一見すると大変イギリス的であり、ミルンの部屋だろうと断定してしまいそうなのですがミルンについてこのような記述があるのです。

「(前略)ミルンはプロのサッカーが嫌いで、血を見るスポーツ(狩猟など)はすべて嫌悪した(「あれは小さい動物を殺すのが好きということだ」とミルンは言った)。(中略)あらゆる種類の攻撃、戦争を美化する思慮に欠けた話の全てが大嫌いなことを、はっきりと表現した。(後略)」*3

実際のミルンはゴルフとクリケットが大好きで、ミルンの自室にはクリケットを描いた絵が二つ飾られていただけだといいます。つまりこの一角がミルンの部屋である可能性は非常に低いのです。

かといって、ここが応接間やダフネの部屋の続きなのかというとその可能性も低くその根拠の一つとして照明があります。

 

上からダフネの部屋、暖炉の真上、そして持ち主不明の部屋の天井にある照明なのですがそれぞれデザインが違うことがわかります。この一見繋がっている一つの空間が実は三つの別々の部屋なのだと、インテリアのテイストで表現していますが照明を変えることによってさらにわかりやすく表現しています。

なのでやはりこの狩猟の絵がある部屋はダフネの部屋でも、応接間でもないのです。

私が思うに、この場所は広義の古き良きイギリス人らしさを表現した部屋なのではないでしょうか。プーさんのハニーハントでは特定の人物や場所を特定させる何かを、突然置かない選択をすることが時折あるのです。キューラインにあった日時計がその代表です。

 

前回の記事でも紹介しましたが、コッチフォードファームにある実際の日時計はプーさんたちのレリーフが彫られています。しかしハニーハントの日時計にはプーさんたちはいません。前後にハチの巣のモチーフなどもすでに出ていて、ここでちょっとだけプーさんの姿(しかも元ネタの日時計にいるのはアニメじゃなくて原作の姿なので尚更)登場させてもよいのではないかと思ったのですがそこは何か譲れないものがあるのだと思います。

それと同様にここをミルンの部屋にしない演出上の理由があるのだと私は考えます。もしかするとミルンの居場所としての役割はお気に入りの場所であった暖炉が担っており、ここはまた例えばお手伝いさんやナニー等別の誰かの部屋なのかもしれません。

みなさんはどう考えますか?

 

今回は以上です。

次回こそ前回予告した夢と現実のグラデーションを演出するものたちをさらに掘り下げる内容の記事になると思います。

 

 

 

*1:クリストファー・ミルン著.『クマのプーさんと魔法の森』.石井桃子訳.岩波書店,1977,p.80

*2:前掲『クマのプーさんと魔法の森』p.218

*3:アン・スウェイト著『グッバイ・クリストファー・ロビン』山内玲子・田中美保子訳.国書刊行会,2018,p.87-88

プーさんコーナーを通って、夢から醒めよう ①

※今回のブログはこの記事の続きです。先にこちらを見ていただいたほうがわかりやすいかと思います。

 

1928days-later.hatenablog.com

 

さて前回は主にプーさんのハニーハントQラインからアトラクションまでに描写される、現実から夢へのグラデーションの考察をしました。

今回はアトラクションから出口、つまり夢から現実へのグラデーションについて解説していきます。

 

アトラクションを降りると広がっているのは夕焼け空とバラのアーチです。私たち、つまりクリストファー・ロビンはまだ子供ですから日が落ちる前には家に帰ってくるよう言われているのでしょう。

バラのアーチはイングリッシュガーデンでポピュラーに見られます。Qラインと同じ庭だとすると、もう現実の世界の我が家に帰ってきたということでしょうか?

さて前回は右に曲がってまっすぐベッドルームへ帰りましたが、今回はまっすぐ前に進んでプーさんコーナーに入っていきましょう。

 

これはアトラクション側からのプーさんコーナーへの入口です。ハチの巣のステンドグラスが素敵ですね。

みにくくて申し訳ないのですがよく見ると蜂も飛んでいます。

 

そしてこれはその横にある小さなステンドグラスの窓で、裏側はレジになっています。

この二つを比較してみると全く同じ色で作られていることがわかります。これをよく覚えておいてください。

 

さてプーさんコーナーに入るとたくさんのプーさん的要素が見られます。

 

まず目を引くのがたくさんの蜂蜜の壺。

 

裏側のレジも蜂蜜の壺になっています。

 

そして後ろには輝くハチの巣。

 

商品棚の最上段のディスプレイにはバスケットに100エーカーの森で採ってきたと思われるたくさんの花や植物が詰まっていて、上の縁の部分には蜂が飛んでいます。奥側や両端にはかわいらしいタッチで描かれた植物も飾ってあり、そこにも蜂が飛んでますね。

 

一見何の変哲のない入ってすぐ右手側のレジはよく見ると台が蜂蜜の壺のシルエットになっています。そして奥の窓には夕焼け空が映っており、私たちは帰ってきてからまだそう時間はたっていないことがわかります。……と、このようにまだまだ紹介しきれないほどたくさんのプーさんエッセンスが詰め込まれた楽しいプーさんコーナーですが、どうやらこのレジから先は少し様子が違うようです。

 

このレジはたくさんの蜂蜜の壺とモニターがある、あの一番目立つディスプレイの目の前にあるレジなのですが不思議なことに一切プーさん的要素が見当たりません。

レジの台はただの棚のようですし、後ろに飾られている絵もプーさんとは無関係のもののようです。さらに先ほどまで梁にたくさんぶら下がっていたハチの巣の装飾まで無くなっています。しかしほかのレジや店内に存在する窓と同じように後ろは夕焼けが透けているので恐らく時間軸や世界軸は共有しており、突然場所や場面が変わったわけではなさそうです。

実はこのレジより先から奥、屋外側に近づくにつれプーさん的要素は徐々になくなっていきます。これは前回紹介した現実→夢のグラデーションと完全な対になっています。

 

プーさんコーナーの代表的な装飾の一つである森の仲間たちのセリフもちょうど真ん中当たりの梁を最後に消えてしまいます。

今回はさわりというころで、この辺りはまた次回以降に詳しく掘り下げます。

 

ところで冒頭に紹介したステンドグラスを覚えているでしょうか。ハチの巣柄ではない、小さいステンドグラスは向こう側がレジになっていると紹介しました。

 

そのレジとは先ほど紹介した棚をレジ台にした質素なレジです。

プーさん的要素が完全にない場所にあるということからこのステンドグラスは現実側の存在であることが伺えます。

そして先ほど紹介した通りこの小さなステンドグラスと、入口ドアに使用されているハニカムのステンドグラスは素材とカラーリングが一致しています。

ということは入り口ドアにあるハチの巣のステンドグラスは現実に存在しているわけではなく、プーさんたちとの大冒険が終わったばかりでまだ夢うつつな私たちがこの規則的に並ぶ透き通った黄色の多角形に思わずプーさんの大好きなハチの巣を見出してしまい、そのように見えてしまったということかもしれません。

どうやら夕焼け空に見送られ、一見現実の世界に戻ってきたと思われるあの時点でもまだまだ私たちはプーさんワールドの途中だったようです。

恐らく東京のプーさんコーナークリストファー・ロビンの別荘をモデルにしています。なのでこのステンドグラスをロビンは毎日見ていたはずです。見慣れたものも想像力次第で物語の一部になるというのはまさにくまのプーさんにぴったりな演出ですね。

 

最後にこの空間が“夢うつつ”な状態であることを予想させるヒントをもう一つ紹介します。

 

それはこちらです。

同じ画像を先ほども載せましたが、衝撃的な秘密が隠れています。皆さんお気づきでしょうか。

 

なんとここには「Hunny」といつもの間違った綴りの壺だけではなく「Honey」と正しい綴りでかかれた壺もあるのです。

前回紹介した通りこのアトラクションの英名は『Pooh‘s “Hunny” hunt』であり、それはこのアトラクションはそれ自体がクリストファー・ロビンの空想の世界なので、名前も幼い彼が間違って覚えた綴りになっているためと解説しました。つまり、この間違った綴りというのはプーや森の仲間たちによるものではなくクリストファー・ロビンによるものであり、Honeyの綴りは本来プーさん世界には絶対登場しないはずなのです。

 

この家では庭で養蜂を行っているようなので(あのようなかわいい壺に入っているかはわかりませんが)この家に、大人が正しい綴りでラベリングした本物の蜂蜜があってもなにもおかしくはないでしょう。

 

このようにプーさんコーナーはQラインと比較すればかなり小さいエリアでありながら、同じかそれ以上細やかに現実と夢のグラデーションの演出がなされているのです。

 

今回はここまで。

次回はさらにプーさんコーナーを掘り下げていきます。

 

 

 

 

 

アメリカンウォーターフロントとワールドバザール。どちらもオトナ帝国か?

※この記事はただの書きなぐりで適当な考察です。冗談半分にどうぞ。

※見直しをしていないので、おかしな文章だったり誤字脱字など多いかと思います。ご了承ください。

 

 この記事を書こうと思ったのは「ディズニーランドとはアメリカ人のためのアメリカ人によるテーマパークである」というようなことは有馬哲夫さん始め大変専門分野に造詣の深い方が著書で言及しているが、ディズニーシーの「アメリカンウォーターフロント」というこれまたきわめて米国史と関わりの深い様な箇所について掘り下げて触れているメディアをいまいち見つけることができなかったからである。

 今から書くことは最終学歴高卒の碌に英語すらできない私の妄想でしかないので、話半分以下で読んでいただきたい。

 

 東京ディズニーランドのテーマランドの一つ。「ワールドバザール」はとても美しい景観を持っている。他国ディズニーパークに存在する同施設「メインストリートUSA」もまた然りだ。ここはウォルトの故郷であるマーセリンのメインストリートを幼少期の風景(19世紀末~20世紀初頭)そのまま再現したというのは周知の事実である。しかし『ディズニーランドの秘密』によると実際のマーセリンのメインストリートを丸々再現したと言い切るのは少し疑問に思うくらいに、その実物とメインストリートUSAは似ていないというのだ。つまりこのメインストリートUSAという施設は「ウォルトが郷愁にかられる風景」を再現したのではなく「アメリカ人が郷愁にかられる風景」を造り上げた場所というわけだ。あまりピンと来ないかもしれないがこれはつまり最近リニューアルした「西武園ゆうえんち」となんらコンセプトは変わらないだろう。だれか特定の人が思い浮かべる故郷ではなく、自国民の共通認識として存在する故郷の再現なのだ。私は平成生まれだが小学校の時『Always三丁目の夕日』を観たとき知りもしない昭和の街にノスタルジーを感じたことがある。私は日本人なので全く見当もつかないが、アメリカ人にとってああいう風景は当時を知らない子供にとっても「懐かしいもの」として認識できるくらいにはデフォルメされたイメージなのではないだろうか。そうであればあのあまりに奇麗すぎる景観にも納得できる。「その時見ていた事実」ではなく「美化された思い出」の再現なのだ。つまり「古き良き時代」、英語で言えば「Good Old Days」の具現化である。都合の悪いことや嫌なことは再現しなかったのではなく、あの頃を懐かしんで思い描いた「Good Old Days」にはそんなものそもそも存在しないのだ。

 さて一方「アメリカンウォーターフロント」はどうだろうか。結論から断言するにここは「Good Old Days」の再現とは言い難いと思う。このアメリカンウォーターフロントは20世紀初頭(但し計画時のコンセプト変更の経緯から禁酒法時代には突入していないと思われる。気になる人は調べてね)のニューヨーク州を題材としている。“20世紀初頭”の“アメリカ”を題材としていることはメインストリートUSAと共通している。しかしどうだろう。打って変わって優雅な印象はほとんど受けない。新しく作ったものを古く見せる演出技法としてエイジングというものが存在するが、このアメリカンウォーターフロントはエイジングが多く使われているのに対し、メインストリートUSAはほとんど使われておらずピカピカである。確かにこの時代のニューヨークはひときわ混とんとした場所であったため、実際前述のようなメインストリートに比べると汚れていたのかもしれないがそれにしても格差がひどすぎる。この要素だけでもアメリカンウォーターフロントが「Good Old Days」ではなく「その時見ていた事実」の再現ではないかと疑う十分な根拠になりうる。しかし格差はそれだけではない。

 私に言わせればこの二つのエリアはそもそも登場人物の性根が違いすぎる。

 アメリカンウォーターフロントの登場人物といえばハリソン・ハイタワー三世やコーネリアス・エンディコット三世、ベアトリス・ローズ・エンディコット、チャーリー田中などだ。他にも多数登場人物がいる中、特にエリア自体のBGSにかかわりが深い四名をピックアップしたが正直この中で至極真っ当といえるのはチャーリー田中だけだろう。エンディコット三世も特段狂った人物像ではないが、どう見ても正義や大衆の味方ではない。ベアトリス嬢は悪人ではないもののやっていることは明らかにまともではない。極めつけはハイタワー三世で、行いが悪すぎるあまり普通に生活している人間では到底遭遇しない極悪レベルの超自然的現象から無限の罰を受けている始末だ。このような人物がワールドバザールにただ一人でも存在しているだろうか。改めて考えるとワールドバザールにこのようなネガティブな印象を持つ登場人物やBGSは私の知る限りでは存在しない。

 そして極めつけにワールドバザールで商いを営むディズニーキャラクターといえばだれが思い浮かぶだろう。無数に思い浮かぶことと思う。「グランドエンポーリアム」はミッキー店長を中心にミニー、ドナルド等も経営に協力。「タウンセンターファッション」はミニーとデイジーが経営。「ワールドバザールコンフェクショナリー」はミッキー達が改装の手伝いをしたそう。

 では、アメリカンウォーターフロントで商売をしているディズニーキャラクターといえば?それはもうスクルージ・マクダックが真っ先に思い浮かぶだろう。彼は地道にこのニューヨークで様々な事業に投資をし、財を成し、あの金ぴかデパートを完成させたのだ。他のディズニーキャラクターが登場する店舗としては「スチームボートミッキーズ」というお店があるが名前がついているだけであり、ミッキーマウス本人は経営に何の協力もしていない…どころか生命体ではなく商品の目玉として存在している様子。マクダックスデパートメントストアのショーウィンドウに一応ダッフィー&フレンズが居座っているが、まあ普通に考えて生活しているのではなくただのスクルージによる販促用装飾だろう。このニューヨークではビジネスが第一優先。地元のお菓子屋の改装の手伝いをただで請け負るようなお人よしは存在しないのだ。実はこれは当時のアメリカの中でもニューヨーク州が特別移民を受け入れやすい空気があった理由でもある。人種や性別など、そんなものは金の前では何の意味もなさないというある意味先進的で平等な考えが当時のニューヨークにはあったのだ。そういう史実背景を考えると、アメリカンウォーターフロントではビジネスで成功することに対してハングリー精神を特に持ち合わせているスクルージのみが明確に店舗経営をしているディズニーキャラクターとして登場しているのも納得だろう。可哀想だからただでガラスの靴にドレスアップしてやるとか、休憩時間なのでハリウッドスターの撮影現場と自宅を無料で公開するとかそんな生温い人情はもちろんのこと、から元気や魔法なんてものもこのニューヨークでは通用しないのである。

 そしてそもそもということである。少しアメリカ映画や文化をお好きな方であれば退廃的なニューヨークを思い浮かべるとき1920年代を真っ先に挙げるのではないだろうか。所謂「Rolling 20's」=「狂騒の二十年代」というやつである。つまりギャングが幅を利かせ(1919年禁酒法施行)浮ついた空気の中フラッパーが踊り狂い(大戦景気)そしてその果てに待つ絶望的な大不況(1930年世界恐慌)。ところが前述の通りアメリカンウォーターフロントでは未だ禁酒法は施行されていない。つまり1910年代のニューヨークなのだ。その1910年代とは一体どんな雰囲気だったのか、情報が少なく調べきることはできなかったのだがわざわざ「狂騒の二十年代」という風に十年区切りでフレーズになるくらいなので少なくとも狂騒のくくりに入れられないくらいには出来事がなかったのだろう。しかしそんな特に何の変哲もない20世紀初頭のニューヨークであっても、田舎町のメインストリートよりははるかに落ち着きはないことと思う。

 それではここまでの話をまとめる。

・「同年代をテーマにしているにもかかわらず、ワールドバザールに比べてアメリカンウォーターフロントのほうが圧倒的にエイジングを使用されているのはなぜか?」

 →歴史上の事実としてもアメリカ人の抱くイメージとしても、田舎町のメインストリートに比べればニューヨークは騒がしくて下品な印象だったから?

・「登場人物の性格や、BGSの生々しさに差があるのはなぜか?」

 →そもそもニューヨークはビジネスの街。現実主義の世界なのでその史実を再現している?

 

 しかし疑問が残る。

 

 ディズニーランドとはアメリカ人によるアメリカを学ぶテーマパークといっても過言ではない。ディズニーランドには特にアメリカ的美しき母国があふれている。突然ジャングルに割って入ってきた欧米人を警戒する原住民は“首狩り族”という危険な奴らだし、インディアンは手を振ってくれるし、地元の商店街は実物よりキレイだ。なのになぜアメリカンウォーターフロントは史実に近い生々しい内容なのだろう。“アメリカ”という直接的なワードでネーミングされてるにも関わらずだ。

 

 ここからはこうだったら楽しいという私の想像と妄想でしかないので、これ以降は見なかったことにするかスルーしていただきたい。

 

 私が一つ考えたのはアメリカンウォーターフロントというのは「ウォルトの感じたニューヨーク」なのではないかということ。

 もちろんディズニーシー企画段階でウォルトは存命ではない。よってイマジニアのリスペクトというか遊び心によってウォルト主観のニューヨークが描かれたということだ。実際にウォルトがニューヨークに用があった頃と年代はずれるが、古き良きニューヨークをここまでガラの悪いように描いたことに色々合点がいくのである。

 ウォルトがニューヨークからロサンゼルスに向かう列車の中でミッキーマウスというキャラクターを思いついた話は有名だ。この話の真偽はともかくとして、ウォルトがニューヨークから逃げてきたこととそれがミッキーマウスの誕生に関係しているのは事実だろう。なぜならチャールズ・ミンツにオズワルドを奪われて、ウィンクラーピクチャーズと縁を切ったからだ。何を隠そうウィンクラーピクチャーズはニューヨークにある。お金のやりくりを兄に任せ、何度も金銭面で困難にぶつかっていたウォルトだが、このショッキングな事件は「金がすべての街ニューヨーク」という印象をウォルトに持たせたかもしれない。

 そんなウォルトから見れば郷愁を感じる地方のメインストリートと大都会ニューヨークでは、今現在パークに表れているほど華やかさに差があったのかもしれない。少なくともメインストリートUSAがウォルトの特別な場所であったことは確かで、メインストリートUSAにあるレストラン「カーネーション」では現在でもウォルトのお気に入りメニューが食べられたりする。ウォルトが存命でない以上、確認することは不可能だがウォルトがアメリカンウォーターフロントに対してどのような感想を抱くのか少し気になる。

 

 余談だがチャールズ・ミンツはニューヨークに会社を構えたほか、ニューヨークで生まれ、ニューヨークで亡くなっている。因みに全く関係ないと思うがアメリカンウォーターフロントチップとデールは新聞配達員の格好をしているけど、新聞配達員はウォルトが思い返したくない辛い子供時代の象徴的な記憶である。

 あれ、もしかして「スチームボートミッキーズ」がアメリカンウォーターフロントにあるのって『蒸気船ウィリー』の初お披露目がニューヨークのコロニー劇場だったことと関係あったりするんですかね。無いか。かつてアメリカンウォーターフロントが、やっと帰ってきたオズワルドの聖地だったことも関係…ないか。

 

 以上、絶対にありえないレベルの妄想でした。

 

参考文献

・有馬哲夫(2011)『ディズニーランドの秘密』

・有馬哲夫(2009)『ディズニー五つの王国の物語』

能登道雅子(1990)『ディズニーランドという聖地』

 

また以上の参考文献は青字以前の考察に参考にさせていただいたのであり、青字以降の独りよがりで稚拙な考察には一切無関係です。

 

プーさんのハニーハントがつなぐ空想と現実

これはプーさんのハニーハントの屋外にある日時計です。

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ハニーハントに並んだことのある方なら見たことがあると思います。遠いのであまりよく見えませんが、よく見ると亀の彫刻がされているのがわかります。

ところでプーさんやその仲間たちが住む100エーカーの森というのは、イギリスのハートフィールド村にあるアッシュダウンフォレストという実在の森がモデルになっているのですがなぜこの森がモデルになっているのかというと、くまのプーさんの原作者であるA.A.ミルンとその一家はハートフィールド村にコッチフォードファームという別荘を持っていたからです。クリストファーロビンのモデルはミルンの息子ですから、森の中でぬいぐるみと遊ぶ少年の姿というのは実在していたということになります。

では、プーさんのハニーハントの屋外、あのイングリッシュガーデンはコッチフォードファームを模したものなのでしょうか。

もしかしたら、そうかもしれません。なぜならコッチフォードファームにも、ミルンの妻ダフネが彼に贈った日時計があるからです。

ところがその日時計はハニーハントのものとデザインが全く違います。コッチフォードファームにある日時計にはクリストファーロビンやプーさんと仲間たちの彫刻がなされているのです。

ここで私は疑問に思いました。なぜ、ハニーハントにある日時計はそのデザインにしなかったのか?プーさんと関係なさそうな亀のデザインより、同じものを再現したほうがより“プーさんらしい”し、コッチフォードファームに行ったことある人は思わずニヤリとできるようなファンの喜ぶ要素になったに違いありません。なにかしらライセンスの問題なのか?それとも亀の日時計にもなにかしらプーさんと因縁があるのか?または関係者がその亀の日時計に強く思い入れがあって、設置を望んだとか?

真相はわかりません。ですが私は「キャラクターの描かれたものを屋外Qラインに置きたくなかったから」だと思っています。ハニーハントの屋外Qラインには入り口にある看板や、建物(大きな本)以外一切キャラクターが見当たらないからです。

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例えばハチの巣箱や

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ハチの巣の形のレリーフなど、プーさんを思い起こさせるようなデザインは見られますが肝心のキャラクターは不在です。

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これは誰かの家の玄関と窓でしょうか。ですがやはり住民の姿は見られません。

以上の様子から私はこのイングリッシュガーデンはコッチフォードファームそのものではなく、“想像力豊かな子供から見た現実世界”の再現なのではないかなと思いました。押入れの向こうにお化けがいたらとか、公園の林を抜けたら違う世界があるんじゃないかとか、そういう子供の感じるイマジネーション。つまりクリストファーロビンの感じたくまのプーさんと仲間たちの足跡を視覚化したのではないかと思いました。実際にはしゃべったりうごいたりしないぬいぐるみを、その有り余る想像力で本物のお友達にしてしまう。そんなクリストファーロビンの見た世界はこんな風だったのかもしれません。

さて、どんどん列が進んでいくとクリストファーロビンの納屋に入りますが、ここでついにキャラクターの姿が登場します。

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この納屋にはプーさんたちの家に貼ってある表札や、100エーカーの森に立ってる標識が飾ってあります。「POOH’S THOTFUL SPOT」や「RNIG ALSO」などおなじみの表札たちです。そもそもくまのプーさんというのはクリストファーロビンの空想ですから、これらの看板をクリストファーロビンが作ったといって違いないです。ですがどうやら納屋で看板をDIYしたというわけではなさそう。

あまり関係ないですが「TRESPASSERS WILL(侵入者ウィリアム)」 の看板にBという文字が見切れてますが、これはこの看板の全貌が「TRESPASSERS WILL BE PROSECUTED(侵入禁止)」であるところに由来しています。ですがアニメに出てくる看板にはBという文字から、つまりWILL以降は抜け落ちてるんです。なぜここではBという文字まで見えているのか、謎ですね。

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また更に余談なのですがここにある看板は「RING ALSO」。本編に登場するのは「RNIG ALSO」。なぜ正しいつづりになっているのか。こちらもまた謎です。

話を戻しますが、これらの看板が意味するのはつまりいよいよ私たち(クリストファーロビン)は現実と空想の区別がつかなくなってるということではないでしょうか。

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ここの納屋にはクリストファーロビンのものと思しきおもちゃの他に園芸道具がたくさんありますが、これは恐らくダフネのものだと思われます。彼女は庭いじりが趣味で、別荘にいるときも息子の世話を乳母に任せて熱心に庭の手入れをするときがあったそうです。

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さて、記念すべきキャラクター初登場はその納屋の出口にあります。この100エーカーの森の地図はプーさんたちの姿はディズニーによるデザインのものでなく、シェパードさんが描いた原作スタイルのものになっています。このプーさんのハニーハントに於いては実在のものをモデルにして書かれた原作(とその挿絵)は、それをさらにデフォルメしたディズニーのくまのプーさんより現実に近いものとして扱わているように思います。

この納屋にはアニメに登場する風船や看板、原作調のプーのイラスト、そして実在する人物であるダフネのものと思しき道具が置いてあったりと実に混とんとしてシュールな場所です。

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納屋を抜ければいよいよプーさんワールドに突入です。あんなに登場を渋っていたキャラクターたちがわんさか描かれています。シェパードさんの描いたプーさんたちはここからは降り場まで一切登場しません。

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また、乗り場にある100エーカーの森の地図に描いてあるプーさんはこの通りアニメデザインになっています。

これら一連の流れはまるでグラデーションのようではないでしょうか。しゃべるぬいぐるみなんて存在しない現実的世界(イングリッシュガーデン)から、実在の森や人物をモデルにした原作『クマのプーさん』の世界を渡し舟にし、よりデフォルメされたディズニーアニメ『くまのプーさん』の世界へ。そしてみなさんご存じの通りアトラクションラストの本が閉じる演出は物語(空想)の終わりを表現しています。現実世界から空想世界に違和感なく入り込めるようにこのような境目をわからないようにする工夫がなされているんですね。余談ですがアニメのクリストファーロビンはイギリス人ではなくアメリカ人らしいので、イングリッシュガーデンからアトラクションに飛び込むとき私たちは国境も超えてるということになります。

また、さらに言うならば降り場から出口にも現実世界に戻ってくるためのグラデーションが施されています。

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出口のクリストファーロビンの子供部屋にあるこのプーさんのぬいぐるみはディズニーの映画の冒頭に登場したぬいぐるみとよく似ています。ほかの森の仲間たちも映画の冒頭に登場した実写スタイルで置かれています。アトラクション(アニメの世界)と出口(現実世界)をつなぐにぴったりな存在と言えるでしょう。

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実はこの場所にはミルンと同じイギリスの作家、チャールズディケンズの本が置いてあったりします(一番下)。ミルンとディケンズは年代が違うので直接のかかわりはありませんが、幼少期ミルンはディケンズの『オリバーツイスト』を読み、そこに描かれた現実世界の恐ろしさに衝撃を受け、自身の少年時代に終止符を打った(=“子供”からの卒業を決意した)という話があります。ここにあるディケンズの本は『ピクウィック』ですが、もしかしたらアトラクション出口という空想世界との決別をしなければならない場所にディケンズの本を置いた理由にはそのエピソードも関係しているかもしれませんね。

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ちなみにピクウィックの上に重ねられている二冊の本。一番上に見えるのは1950年代に出版された『クマのプーさん』(初版は1926年なのでこれは装丁を一新して再版されたもの。)、その下にあるの『クマのプーさんと僕』。これは1927年に出版されたプーさんの詩集なのですが、同じように1950年代に出版されたものの装丁になっています。つまり置いてあるのはどちらもクリストファーミルンがすっかり大人になったころに出された本なわけですが、なぜここにそれが置いてあるのかはわかりません。もしかしてこの部屋は既に使われてないのでしょうか。

それにしてもこれらミルンの著書の下にディケンズの本が隠されるように置いてあるのは、なんともいろいろ勘ぐってしまいます。

 

最後ですが、どこからが現実でどこからが空想なのかという謎の答えは調べたり観察したりしなくても最初から誰でも見えるところに実はありました。

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このアトラクションの英字表記は「Pooh's Hunny Hunt」。物語を空想として終わらせるために置いてある出口の本の綴りどころか、アトラクション名自体が正式に間違って表記されています。更に公式の説明文によると私たちが乗る蜂蜜の壺は「Hunny pot」で、プーさんが探しているのは「Honey」とのことなのでやはり空想の産物に限り綴りが間違っているようです。

つまりいろいろ考察しましたが最初から最後までずっと、このアトラクション自体がすべてクリストファーロビンの夢の世界だったんですね。

 

今回はここで終わりです。ありがとうございました。

 

参考文献

猪熊葉子クマのプーさんと魔法の森へ』 求龍堂,1993

クリストファー・ミルン(石井桃子訳)『クマのプーさんと魔法の森』岩波書店,1977

『ディズニーファン四月増刊号 プーさんに夢中!』講談社,2001

 

画像出典(最後のスクリーンショット

Pooh's hunny hunt/東京ディズニーリゾート

www.tokyodisneyresort.jp

10歳、初めてのアナハイム #d_advent

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はじめまして!マウスオブザデッドです。

さて今回この#d_advent(https://adventar.org/calendars/5478)に参加させていただくにあたって、どんな記事を書こうか非常に悩みましたが今回は旅行記を書いてみようと思います。

 

タイトルにも書きましたが10歳の頃に初めてアナハイム旅行した時の話です。もう10年前のことなのであやふやなところもありますし、一応当時の気持ちで書いてるので最初から最後まで10歳並みの感想しかなく特にためになることなどは一切書いていませんが何卒最後までお付き合いいただければと思います。それでは当時の写真つきでどうぞ!

 

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成田空港を出発しました。

私はこの日が来るまで飛行機が本当に飛ぶかどうか、不安で不安でしょうがなかったのを今でも覚えています。「風速何mで飛行機は飛ばなくなるのか」といったことをずっとインターネットで検索していましたし、それが不安すぎて寝れない日もありました。楽しみすぎるのも問題ですね。

 

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ついにあこがれのアメリカに到着です。飛行機は何度も乗ったことありましたが、こんなに長いフライトは初めてだったので外の空気を吸えたときめちゃくちゃ気持ちよかったです。

シングアロングソングを見せられながら「いつかアメリカのディズニーランドに連れて行ってあげるからねー」と母に焦らされること実に10年。あんなにちっちゃかったのにもう小学四年生になっちゃいました。人生はあというまだ。

ちなみにアメリカに着いてまず思ったのが「USA storeのにおいがする」でした。USA storeとは地元新潟にあるアメリカ雑貨屋です。帰国後このことを店主のおじさんに伝えたら笑ってました。

空港にキム・ポッシブルとかにでてくるような自販機があってテンション上がりました。今回は一週間の滞在。ハリウッドやサンタモニカビーチにも行きましたが長くなるので省きます。 

 

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人生初、憧れのピンクの眠れる森の美女の城とご対面。私はあんまり笑わない子供(今では立派に愛想の悪いお姉さん)だったのでこんなむくれ顔をしていますが、本当は頭は空っぽ心はいっぱいって感じでした。うまく言い表せませんが、ウォルトさんの声が聞こえたような気がしましたね。全く10歳にしてできたオタクだ。

 

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マッターホルンボブスレーともご対面。この帽子を買って名前を入れてもらったとき。とてもうれしかったなあ。そしてよく見るとピンもちゃっかり買ってますね。よく見えないけどパイレーツオブカリビアンのセットです。アイスまで買っちゃってアメリカ気分を味わおうと頑張ってます。

この時ホーンテッドマンションホリデーナイトメアが終わったばかりでクローズでした。ガーン。普段の私を知っている方なら私が如何にショックを受けたか容易に想像できると思います。でも、実際は想像したよりショックじゃなかったです。なぜならこの外観を生で見ただけで大大大満足でしたから。憧れの白いホーンテッドマンション、今でもニューオーリンズスタイルのホーンテッドマンションが一番お気に入りです。今にもシーツ被ったドナルドが出てきそうだ。

余談ですが私が最初に自力で覚えた英単語は「Happy」 、次に覚えたのが「Haunted」でした。ちなみに三番目は「Zombie」です。Mansionはなんか難しかったんだもん。

 

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ダウンタウンディズニーでたくさんお買い物をしました。このころの私はクレアーズ的なものが大好きだったので楽園でしたね。そして、思ったより暑かったので半袖のTシャツを購入。「12月なのに暑いなんてカリフォルニアはすごい!沖縄みたい!」と感動しました。でもこの前2月に行ったときは普通に結構寒かったな。

 

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二日目はカリフォルニアアドベンチャーだ!イエーイ。このころはパラダイスピア、トワイライトゾーンタワーオブテラー、バグズランドは健在でした。カリフォルニアアドベンチャーに関してはミッキーの顔を一回転するジェットコースター、オレンジの中をくるくる回るアトラクション、そしてソアリン。この三つ以外の知識がなかったのですがそのうち二つは無かったので、最初ちょっとがっかりしました。

 

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最初に乗ったのはマルホーランドマッドネス。今はグーフィー先生が教室を開いていますね。ああいうジェットコースターは割といろんな遊園地にあるけど私はディズニーとつかない遊園地にほとんど行かない人だったので、新鮮で楽しかったです。何度も乗りました。

そして上の写真はトイストーリーマニアついでにウッディからサインをもらってる私です。トイストーリーマニア、すごく楽しかったしキャラクターがたくさん出てくるアトラクションなのに、パラダイスピアのテーマとちゃんと合ってることに子供ながらに感心しました。そして感心していたら、今度はパラダイスピアがトイストーリーマニアに合わせてきたのでびっくりです。大出世なんてもんじゃねえ。

 

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ついにこの不貞腐れたガキにも表情が!それもそのはずで、これはあの恐怖の観覧車に揺られてる時の写真です。一生のトラウマになりました

そして下の写真では何事もなかったかのようにいつも通り嫌そうな顔で写真に写ってます。キッズサイズのジュースがでかすぎて、面白いから撮った写真みたいです。

 

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バグズランドを背景に右手には定番のグーフィ印の綿あめ。バグズランドの写真はあんまりないけど、結構楽しかったです。大きなクローバーとかゴミ箱とかとにかく周りがかわいかったし、ハイムリックのアトラクションは変なにおいがして面白かった。でもアベンジャーズと戦わせて勝てるかはわからないです。

 

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アリエルのアンダーザシーアドベンチャーを建設中。映画の特典映像にシュミレーション映像みたいなやつはいってましたよね。「あれが本当にできるんだ!」とワクワクでした。でも今は不人気扱いされてて、悲しいです。楽しいのに。

写真ないけどカリフォルニアアドベンチャーの帰りはダウンタウンディズニーで晩御飯。陽気なお兄ちゃんが接客してくれたのをよく覚えています。量の多さに絶望したのも覚えてます。10歳にとってはアメリカンサイズかなりきつかったのですが(今でもきついけど)最初は楽しくてばくばく食べていたけど、二日目の夜になってだんだん嫌気がさしてきました。ちなみに最後らへん、うどんが食べたくて夜泣いてました。だしの味が恋しくなるのあるあるですよね。

 

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三日目の朝はモーニングマッドネスとやらで一時間早くトゥーンタウンに入れました。というか「ゴーゴーガジェット」とか書いてありますけど、まぁうちの母が結構ディズニー好きなことがお分かりいただけだと思います。この写真は名誉市長のミッキーがなにやら演説してるみたいですが、書いてある通りスルーしたので詳細は分からないです。たぶん早く入った人だけが見れるんでしょうね。もったいないことしました。このとき人が少なかったのでゴーゴーガジェットを降りないで二周させてもらえるという貴重な体験ができました。楽しかったなあ、ゴーゴーガジェット。

 

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これはティガーテールというお菓子です。かわいいので買ったのですがマシュマロの上にキャラメルとチョコがコーティングされており、結局食べ終わるのに一日かかりました。もともと甘いのがすごく得意というわけではないため、これもしばらくトラウマになりました。

この日は疲れて夕方にはホテルへ。ホテルでセブンイレブンのバーベキュー味のチキンを食べるのが毎度お決まりだったのですが、いつも同じ店員さんから買ってたのでいつのまにかおまけしてくれるように。優しいお兄ちゃんでした。それにしてもチキンくらいなら、普通に一人で買ってたのですが今思うと子供の順応能力の高さを感じます。

 

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四日目。アトラクションの中でもスペースマウンテンは一番乗ったんじゃないかな。音楽付きというのがすごくよかったんです。帰国してからもあのBGMをずっと聞いてバーチャルスペースマウンテンしてました。東京のにのるときも脳内で流したりね。

 

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ディズニーランドとカリフォルニアアドベンチャーって往復しやすくていいんですよね。この日も途中からカリフォルニアアドベンチャーへ。

ところで私は何かのビデオで見て以来ソアリンに乗るのがずっと夢だったので、何度も乗りました。でも、これが飽きないんです。今でも忘れない念願の初体験は大変感動しました。あの座席に座ったとき足が震えたのを覚えてます。「こんなすごいアトラクションがこの世に存在するなんて!!」と体験中はずっと夢心地でした。私はやっぱりオーバーカリフォルニアが好きですね。あのオレンジのにおい、久しぶりにかぎたいな。

 

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大好きなカリフォルニアスクリーミン。こちらも帰国後ずっとCDを聞いてバーチャルで楽しんでました。音楽とジェットコースターの合わせ技の楽しさにこの旅行で気づかされましたね。カリフォルニアスクリーミンに乗るときは、アメリカ人の真似をして「Fooo!」と叫んでました。今はインクレディブル一家のものになったけど、どっちも別の楽しさがあります。スクリーミン時代からあった発射の際に噴き出る水の演出を、そのままダッシュに走らせたのは本当にうまいですよね。

 

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五日目。よくビデオに出てきた映像と同じように、クジラの口の中に入れてうれしかったです。ディズニーランドはとにかくビデオやテレビに出てきたものを生で見れたのがうれしかったですね。カラフルなお菓子とか、何段にも重ねられたパンケーキとかそういうのが実在するということをしっかり確認できて、そこが一番大満足でした。

 

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大好きなメリーポピンズ。このときメリーポピンズの写真を待っていたらグーフィーが突然割り込んできて、いきなりサインをくれました。そして去っていきました。自由だなあ。

 

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さて、これが最後のカリフォルニアアドベンチャー

でも私はワールドオブカラーよりアイスが食べたかったらしいです。カラフルなスプレーに惹かれて買ったのですが、例のごとく想定の数倍大きいので苦戦しました。長袖を着てますが、カリフォルニアって夜になると急に寒くなるんですよね。あるある。

 

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そしてランドに移動。この日は23時までやってたみたいです。なんだか写真見てるだけでさみしくなってしまいます。「私は明日からどうやって生きていけばいいんだ…」みたいな絶望感を思い出します。ずっとずっとずっと行きたかったアナハイム。ピンクのお城も、白いホーンテッドマンションも、屋根のないメインストリートUSAも飛行機で10時間の場所に本当にあったんですね。「連れて行ってあげるからね」と言われてから10年経ってやっと行けたのですから、次いついけるかはわかりません。もう次行くときは大人になってるかもしれないね。帰りたくないよ~。

 

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花火を見終わったところで帰ります。さよならディズニーランド。

 

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次の日の朝の空港。またアイス食べてます。元々アメリカには強いあこがれを抱いていましたが、この旅行でもっとアメリカのことが大好きになりました。ディズニーランド、カラースプレーまみれのアイス、お菓子じゃないみたいな色のお菓子、ビーフジャーキー、ホーンテッドマンション専用の店とほしいものが何でもある夢のような場所でした。さらばアメリカ。

 

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以上でこの記事は終わりです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。そしてアルバムの写真を送ってくれたお母さん、ありがとうございます。旅行から帰ってから私は何度も何度もこのアルバムの写真を見てアナハイムに思いを馳せていました。誰かのブログやYouTubeにもっと綺麗な写真や動画はたくさんあるけど、やっぱり自分がみたものそのままが写されてる写真は特別わくわくしますよね。

 

早くまたアナハイムに行きたいですね!