1928日後…

すべては1匹のねずみの感染から始まった……!!

“活動写真ポスター風”に。

みなさんこんにちは。マウス・オブ・ザ・デッドです。

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今回はこれらのポスター達をどういう心持ちで作っているのか大雑把に説明したいと思います。つまりポスターの時代考証がガバガバなことにみなさん気づき始めているだろうと思うので、言い訳をさせて下さいということです。ちなみに特に絵の説明をするわけでもなく、本当にただの言い訳です。

 

そもそもこのポスターは何をイメージしているのかというと、何度かTwitterでも触れましたが“戦前日本の活動写真ポスター風”に描いています。(活動写真についてはまたそのうち記事にしたいと思います)

 

ところで私は“〇〇風”みたいなのが割と気に食わないたちです。

 

これは園内に存在する神羅万象に何かしらの裏付けやストーリーが存在するディズニーパークのファンとしての性なのかもしれませんが、どうにも〇〇風というのは気持ち悪いんですよね。「とりあえずRoute 66って描いてある標識貼っとけばアメリカっぽいっしょ!」みたいな雑貨屋とか「エッフェル塔書いときゃおしゃれっしょ!」みたいな手帳とか、なんか気持ち悪くないですか。もちろん私は博識とは言えないただの若者ですから、気づかないうちに〇〇風みたいなものを手にはしてると思うんですけどね。この〇〇風問題ですが、好きな分野のこととなってくるとかなり厳しい目を向けてしまう自分がいます。特に“戦前文化”に関してはモヤモヤすることが多いんです。例えば“大正ロマン”というテーマはいろんなものによく使われますよね。雑貨のデザインや、アニメの設定や、ソシャゲの衣装とか。大正ロマンと聞いてイメージするのは何でしょうか。「袴にリボンの女学生や詰襟シャツに着物の書生、あとはなんだかよくわからないけど椿柄とか、矢絣柄とか。それと“ヰ”みたいな昔の字を使った文章を右から読んだりとか。」そんなイメージだと思うんです。これらは間違っていません。女学生の多くは動きやすい袴姿で通学していました。女学校の中には校章付きの袴用のベルトを制定するところもあったそうです。詰襟シャツの上に着物を着るというのは、男子学生がシャツ(=制服)と合わせてありあわせの格好をするにはぴったりだったはずですし、玉椿は竹久夢二のアイコンの一つです。この中で唯一、矢絣柄に関しては袴に合わせやすい柄の定番ではありましたが大正期にはそのブームがさっているように思います。が、もちろん着ていた方もいるはずです。ヰは使われているし、大正期は文章を右から読んでいました。(アラビア数字を交えた文章などは左から読むこともあったようですが。)でもなんだか気持ち悪い。薄っぺらいにもかかわらず厳密に言えば間違ってないからこそ、モヤモヤしてしまう。それがわたしにとっての〇〇風です。だってRoute 66はアメリカにあるし、エッフェル塔はおしゃれですからね。でもその理由と根拠のなさが不気味なのです。

 

では“戦前日本の活動写真ポスター風”をなぜ許したのか。人に厳しく自分に甘い、典型的なインターネットの住民なのか。まぁ、そうなんですけど、まずは言い訳させて下さい。

 

まず理由の一つに、時代考証に自信がないというのがありますがこれは些細なことです。持ってる本だけじゃなくて、図書館や、インターネットでいくらでも調べることができますからこれは言い訳になりません。時代考証できないんじゃなくて、してないんです。わざと“風”にしています。それは本物にしてしまうと表現に限界があるからです。色彩や、構図などあの時代には間違いなくあり得ないものばかりです。そもそも文章があんなにたくさんありません。あったとしても一行程度。戦前ポスターの文字量の多さは殆ど役者名によるものです。(そういう意味ではミッキーマウスレビューはその時代のものに近かったかもしれないですね。)ただ、一つだけ本当に謝罪したいのが、私はタワーオブテラーのポスターに「ハヰタワー」とかきましたがこれは多分あり得ないと思います。ヰはイではなくウィと読むのでハウィタワーとなってしまうのです。ですが「ハヰタワー」のほうがかっこいので嘘をつきました。

 

“風”というのはデフォルメされたテーマで、その中にある嘘は分かりやすさのために必要なことで、悪ではないと私はやっと気づけました。(嘘だと気づいてない場合はわかりませんが)きっと、あのポスターを時代考証ガチガチにして作成していたらこんなにみなさんにみてもらうことはなかったと思います。きちんとテーマを自分の中で守りつつ、その上で嘘をついて面白くしたからこそいいものができたんだなと。きっちり作っていれば三ヶ月で千人もフォロワーが増えることはなかったと思います。多分。ちなみにそれが今回この言い訳記事を書くにあたった理由です。旧仮名遣いが間違ってることも、ポスターの構成や構図がおかしいこともちゃんと理解した上で嘘をついていて、それは私なりにいい作品を作るための努力なのでおおめにみてほしいです。ということです。

 

自分自身がこうやって事実のデフォルメの犯人になったことで、色んなことに柔軟になれた気がします。俺の宇宙では鳴るんだよ、みたいな。