1928日後…

すべては1匹のねずみの感染から始まった……!!

アメリカンウォーターフロントとワールドバザール。どちらもオトナ帝国か?

※この記事はただの書きなぐりで適当な考察です。冗談半分にどうぞ。

※見直しをしていないので、おかしな文章だったり誤字脱字など多いかと思います。ご了承ください。

 

 この記事を書こうと思ったのは「ディズニーランドとはアメリカ人のためのアメリカ人によるテーマパークである」というようなことは有馬哲夫さん始め大変専門分野に造詣の深い方が著書で言及しているが、ディズニーシーの「アメリカンウォーターフロント」というこれまたきわめて米国史と関わりの深い様な箇所について掘り下げて触れているメディアをいまいち見つけることができなかったからである。

 今から書くことは最終学歴高卒の碌に英語すらできない私の妄想でしかないので、話半分以下で読んでいただきたい。

 

 東京ディズニーランドのテーマランドの一つ。「ワールドバザール」はとても美しい景観を持っている。他国ディズニーパークに存在する同施設「メインストリートUSA」もまた然りだ。ここはウォルトの故郷であるマーセリンのメインストリートを幼少期の風景(19世紀末~20世紀初頭)そのまま再現したというのは周知の事実である。しかし『ディズニーランドの秘密』によると実際のマーセリンのメインストリートを丸々再現したと言い切るのは少し疑問に思うくらいに、その実物とメインストリートUSAは似ていないというのだ。つまりこのメインストリートUSAという施設は「ウォルトが郷愁にかられる風景」を再現したのではなく「アメリカ人が郷愁にかられる風景」を造り上げた場所というわけだ。あまりピンと来ないかもしれないがこれはつまり最近リニューアルした「西武園ゆうえんち」となんらコンセプトは変わらないだろう。だれか特定の人が思い浮かべる故郷ではなく、自国民の共通認識として存在する故郷の再現なのだ。私は平成生まれだが小学校の時『Always三丁目の夕日』を観たとき知りもしない昭和の街にノスタルジーを感じたことがある。私は日本人なので全く見当もつかないが、アメリカ人にとってああいう風景は当時を知らない子供にとっても「懐かしいもの」として認識できるくらいにはデフォルメされたイメージなのではないだろうか。そうであればあのあまりに奇麗すぎる景観にも納得できる。「その時見ていた事実」ではなく「美化された思い出」の再現なのだ。つまり「古き良き時代」、英語で言えば「Good Old Days」の具現化である。都合の悪いことや嫌なことは再現しなかったのではなく、あの頃を懐かしんで思い描いた「Good Old Days」にはそんなものそもそも存在しないのだ。

 さて一方「アメリカンウォーターフロント」はどうだろうか。結論から断言するにここは「Good Old Days」の再現とは言い難いと思う。このアメリカンウォーターフロントは20世紀初頭(但し計画時のコンセプト変更の経緯から禁酒法時代には突入していないと思われる。気になる人は調べてね)のニューヨーク州を題材としている。“20世紀初頭”の“アメリカ”を題材としていることはメインストリートUSAと共通している。しかしどうだろう。打って変わって優雅な印象はほとんど受けない。新しく作ったものを古く見せる演出技法としてエイジングというものが存在するが、このアメリカンウォーターフロントはエイジングが多く使われているのに対し、メインストリートUSAはほとんど使われておらずピカピカである。確かにこの時代のニューヨークはひときわ混とんとした場所であったため、実際前述のようなメインストリートに比べると汚れていたのかもしれないがそれにしても格差がひどすぎる。この要素だけでもアメリカンウォーターフロントが「Good Old Days」ではなく「その時見ていた事実」の再現ではないかと疑う十分な根拠になりうる。しかし格差はそれだけではない。

 私に言わせればこの二つのエリアはそもそも登場人物の性根が違いすぎる。

 アメリカンウォーターフロントの登場人物といえばハリソン・ハイタワー三世やコーネリアス・エンディコット三世、ベアトリス・ローズ・エンディコット、チャーリー田中などだ。他にも多数登場人物がいる中、特にエリア自体のBGSにかかわりが深い四名をピックアップしたが正直この中で至極真っ当といえるのはチャーリー田中だけだろう。エンディコット三世も特段狂った人物像ではないが、どう見ても正義や大衆の味方ではない。ベアトリス嬢は悪人ではないもののやっていることは明らかにまともではない。極めつけはハイタワー三世で、行いが悪すぎるあまり普通に生活している人間では到底遭遇しない極悪レベルの超自然的現象から無限の罰を受けている始末だ。このような人物がワールドバザールにただ一人でも存在しているだろうか。改めて考えるとワールドバザールにこのようなネガティブな印象を持つ登場人物やBGSは私の知る限りでは存在しない。

 そして極めつけにワールドバザールで商いを営むディズニーキャラクターといえばだれが思い浮かぶだろう。無数に思い浮かぶことと思う。「グランドエンポーリアム」はミッキー店長を中心にミニー、ドナルド等も経営に協力。「タウンセンターファッション」はミニーとデイジーが経営。「ワールドバザールコンフェクショナリー」はミッキー達が改装の手伝いをしたそう。

 では、アメリカンウォーターフロントで商売をしているディズニーキャラクターといえば?それはもうスクルージ・マクダックが真っ先に思い浮かぶだろう。彼は地道にこのニューヨークで様々な事業に投資をし、財を成し、あの金ぴかデパートを完成させたのだ。他のディズニーキャラクターが登場する店舗としては「スチームボートミッキーズ」というお店があるが名前がついているだけであり、ミッキーマウス本人は経営に何の協力もしていない…どころか生命体ではなく商品の目玉として存在している様子。マクダックスデパートメントストアのショーウィンドウに一応ダッフィー&フレンズが居座っているが、まあ普通に考えて生活しているのではなくただのスクルージによる販促用装飾だろう。このニューヨークではビジネスが第一優先。地元のお菓子屋の改装の手伝いをただで請け負るようなお人よしは存在しないのだ。実はこれは当時のアメリカの中でもニューヨーク州が特別移民を受け入れやすい空気があった理由でもある。人種や性別など、そんなものは金の前では何の意味もなさないというある意味先進的で平等な考えが当時のニューヨークにはあったのだ。そういう史実背景を考えると、アメリカンウォーターフロントではビジネスで成功することに対してハングリー精神を特に持ち合わせているスクルージのみが明確に店舗経営をしているディズニーキャラクターとして登場しているのも納得だろう。可哀想だからただでガラスの靴にドレスアップしてやるとか、休憩時間なのでハリウッドスターの撮影現場と自宅を無料で公開するとかそんな生温い人情はもちろんのこと、から元気や魔法なんてものもこのニューヨークでは通用しないのである。

 そしてそもそもということである。少しアメリカ映画や文化をお好きな方であれば退廃的なニューヨークを思い浮かべるとき1920年代を真っ先に挙げるのではないだろうか。所謂「Rolling 20's」=「狂騒の二十年代」というやつである。つまりギャングが幅を利かせ(1919年禁酒法施行)浮ついた空気の中フラッパーが踊り狂い(大戦景気)そしてその果てに待つ絶望的な大不況(1930年世界恐慌)。ところが前述の通りアメリカンウォーターフロントでは未だ禁酒法は施行されていない。つまり1910年代のニューヨークなのだ。その1910年代とは一体どんな雰囲気だったのか、情報が少なく調べきることはできなかったのだがわざわざ「狂騒の二十年代」という風に十年区切りでフレーズになるくらいなので少なくとも狂騒のくくりに入れられないくらいには出来事がなかったのだろう。しかしそんな特に何の変哲もない20世紀初頭のニューヨークであっても、田舎町のメインストリートよりははるかに落ち着きはないことと思う。

 それではここまでの話をまとめる。

・「同年代をテーマにしているにもかかわらず、ワールドバザールに比べてアメリカンウォーターフロントのほうが圧倒的にエイジングを使用されているのはなぜか?」

 →歴史上の事実としてもアメリカ人の抱くイメージとしても、田舎町のメインストリートに比べればニューヨークは騒がしくて下品な印象だったから?

・「登場人物の性格や、BGSの生々しさに差があるのはなぜか?」

 →そもそもニューヨークはビジネスの街。現実主義の世界なのでその史実を再現している?

 

 しかし疑問が残る。

 

 ディズニーランドとはアメリカ人によるアメリカを学ぶテーマパークといっても過言ではない。ディズニーランドには特にアメリカ的美しき母国があふれている。突然ジャングルに割って入ってきた欧米人を警戒する原住民は“首狩り族”という危険な奴らだし、インディアンは手を振ってくれるし、地元の商店街は実物よりキレイだ。なのになぜアメリカンウォーターフロントは史実に近い生々しい内容なのだろう。“アメリカ”という直接的なワードでネーミングされてるにも関わらずだ。

 

 ここからはこうだったら楽しいという私の想像と妄想でしかないので、これ以降は見なかったことにするかスルーしていただきたい。

 

 私が一つ考えたのはアメリカンウォーターフロントというのは「ウォルトの感じたニューヨーク」なのではないかということ。

 もちろんディズニーシー企画段階でウォルトは存命ではない。よってイマジニアのリスペクトというか遊び心によってウォルト主観のニューヨークが描かれたということだ。実際にウォルトがニューヨークに用があった頃と年代はずれるが、古き良きニューヨークをここまでガラの悪いように描いたことに色々合点がいくのである。

 ウォルトがニューヨークからロサンゼルスに向かう列車の中でミッキーマウスというキャラクターを思いついた話は有名だ。この話の真偽はともかくとして、ウォルトがニューヨークから逃げてきたこととそれがミッキーマウスの誕生に関係しているのは事実だろう。なぜならチャールズ・ミンツにオズワルドを奪われて、ウィンクラーピクチャーズと縁を切ったからだ。何を隠そうウィンクラーピクチャーズはニューヨークにある。お金のやりくりを兄に任せ、何度も金銭面で困難にぶつかっていたウォルトだが、このショッキングな事件は「金がすべての街ニューヨーク」という印象をウォルトに持たせたかもしれない。

 そんなウォルトから見れば郷愁を感じる地方のメインストリートと大都会ニューヨークでは、今現在パークに表れているほど華やかさに差があったのかもしれない。少なくともメインストリートUSAがウォルトの特別な場所であったことは確かで、メインストリートUSAにあるレストラン「カーネーション」では現在でもウォルトのお気に入りメニューが食べられたりする。ウォルトが存命でない以上、確認することは不可能だがウォルトがアメリカンウォーターフロントに対してどのような感想を抱くのか少し気になる。

 

 余談だがチャールズ・ミンツはニューヨークに会社を構えたほか、ニューヨークで生まれ、ニューヨークで亡くなっている。因みに全く関係ないと思うがアメリカンウォーターフロントチップとデールは新聞配達員の格好をしているけど、新聞配達員はウォルトが思い返したくない辛い子供時代の象徴的な記憶である。

 あれ、もしかして「スチームボートミッキーズ」がアメリカンウォーターフロントにあるのって『蒸気船ウィリー』の初お披露目がニューヨークのコロニー劇場だったことと関係あったりするんですかね。無いか。かつてアメリカンウォーターフロントが、やっと帰ってきたオズワルドの聖地だったことも関係…ないか。

 

 以上、絶対にありえないレベルの妄想でした。

 

参考文献

・有馬哲夫(2011)『ディズニーランドの秘密』

・有馬哲夫(2009)『ディズニー五つの王国の物語』

能登道雅子(1990)『ディズニーランドという聖地』

 

また以上の参考文献は青字以前の考察に参考にさせていただいたのであり、青字以降の独りよがりで稚拙な考察には一切無関係です。